"Esclave sexuelle" est un langage inapproprié

Publié le par daisuki

L'esclavage sexuel peut être défini par « amener par la contrainte des personnes non consentantes à diverses pratiques sexuelles) » (wikipédia français).

性奴隷とは「本人の意思に反して連れて行かれること(様々な性行為目的で)」と定義できます。わたし個人の考える、性奴隷の定義は、性行為という目的は重要ではなく、「意思に反して連れて行かれる」という行為です。

Donc dans une certaine mesure, comme les femmes ont pu être vendues par leur famille pour être prostituées pendant une période définie, leur état peut-être vu comme esclaves sexuelles (même en échange d'un salaire). Le problème est que les « esclavagistes » sont surtout leur famille et les propriétaires Japonais, Coréens ou Chinois des maisons closes. Ce n'est donc pas juste d'accuser le Japon.

よって、なにかの状況下、たとえば、ある一定期間売春するために両親から売られた女性たちも、その状態は性奴隷と言えるでしょう(金銭授受があったとしても)。問題は、「奴隷商人」たちは、その親たちであり、日本人、朝鮮人や中国人の売春宿の主人たちであることです。だから日本政府を非難することは、正しくありません。

Je pense que la manifestation directe et claire de l'avis du gouvernement japonais aidera à faire comprendre au monde entier le problème des femmes de réconfort dont la Chine, la Corée du Sud et la Corée du Nord profitent pour la propagande et la manipulation de leur peuple.

直接的で明確な日本政府の意見の表明は、中国、韓国、北朝鮮がプロパガンダや国民操作に利用している慰安婦問題を世界中に理解させる役に立つだろうと思います。

J'espère que le Japon continuera sur ce chemin malgré la pression américaine qui impose le silence à son sage partenaire asiatique (le Japon), pour calmer l'autre partenaire, la Corée du Sud.

アジアのパートナーである韓国を鎮めようと、おとなしく聞き分けの良い日本にアメリカが沈黙を強要するでしょうが、日本が、圧力に負けずに、この道を進まれることを願います。

Car la sincérité est la seule clef de la paix de l'humanité à mon avis, et que c'est le Japon qui me paraît le seul pays sincère vis à vis l'Histoire parmi ces quatre pays asiatiques.

なぜなら、これは個人的意見ですが、誠実さこそがたったひとつの人類の平和の鍵であり、また、これらの東洋の四カ国のうちで、歴史に関し誠実なのは、日本のみだと思うからです。

Si la France doit choisir un camp un jour, j'aimerais qu'elle soit du côté sincère.

もしいつかフランスが陣営を選ばなければならないなら、フランスには、誠実な側へついて欲しいです。

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« "Esclave sexuelle" est un langage inapproprié  »

Le représentant du gouvernement japonais, a fait cette annonce à l'Organisation des Nations Unies.

「『性奴隷』は不適切な表現だ」 日本政府代表、国連で表明

16.7.2014 Journal Sankei Correspondance Genèveジュネーブ=田北真樹子】

Lors du Comité des droits de l'Homme, qui a commencé au siège européen des Nations Unies (Genève, Suisse), le 15 juillet, la délégation du gouvernement japonais a exprimé que la description comme "esclaves sexuelles" pour les femmes de réconfort était "inapproprié". Il est extrêmement rare que le gouvernement japonais nie en public l'expression «esclaves sexuelles».

15日に国連欧州本部(スイス・ジュネーブ)で始まった自由権規約委員会で、日本政府代表団は同日、慰安婦を「性奴隷」と表現することを「不適切」とする見解を表明した。日本政府が公の場で「性奴隷」の表現を否定したのは極めて珍しいという。

En tant que représentant du Japon, YAMANAKA Osamu, chef de la section humanitaire du ministère des Affaires étrangères a répondu aux questions posées lors la dernière révision de 2008. Il a déclaré « je signale qu'il y a une expression inappropriée dans la question : « pratiques de l'esclavage sexuel ». Cette déclaration n'était pas notée dans ses réponses officielles publiées à l'avance.

 日本政府代表団として委員会からの質問に回答した外務省の山中修・人権人道課長が、2008年の前回審査で委員会から出た質問に言及し、「質問には『性奴隷慣行』との不適切な表現がある点を指摘する」と述べた。この発言は、事前に公表された回答には明記されていなかった。

 Depuis qu'elle a été certifiée en Février 1996, dans le "Rapport Coomaraswamy des Nations Unies", l'expression «esclaves sexuelles» est également utilisée dans l'avis final du Comité contre la torture en 2013, et elle est apparue telle-quelle sur les monuments et les statues des femmes de confort installés aux États-Unis, etc...

「性奴隷」の表現は、1996年2月の「国連クマラスワミ報告書」で認定されて以降、拷問禁止委員会の13年の最終見解でも使用されているほか、米国で設置された慰安婦碑や慰安婦像などでも登場している。

MITSUYA Norio, vice-ministre des Affaires étrangères, au Comité du Cabinet en mars dernier, « Au Conseil des droits de l'homme, comme ils ont exposés des faits basés sur des perceptions erronées concernant le problème des femmes de réconfort, nous essayons de faire passer notre avis à chaque fois ». Il a révélé que le ministère avait donné l'avis du gouvernement du Japon à l'ONU en 2006.

 今年3月の参院内閣委員会で三ツ矢憲生外務副大臣は、「国連人権理事会等の場において、慰安婦問題に関し事実誤認に基づく記載が見受けられるため、適宜申入れを行ってきている」として、06年に国連に日本政府の見解を出したことを明らかにした。

Le Comité des droits de l'Homme est une organisation conventionnelle qui examine régulièrement le comportement des contractants (la liberté d'expression, l'interdiction des châtiments cruels et de la torture) auprès de chaque pays. Et Il met sur pied l'avis final avec les recommandations. Il n'a pas de relations directes avec le Conseil des droits de l'homme des Nations unies qui est une organisation subsidiaire de l'Assemblée générale des Nations Unies.

自由権規約委員会は、表現の自由や、拷問や残虐な刑罰の禁止などの規定を締約した国々が、規定内容をどのように保障しているかを定期的に審査し、勧告を盛り込んだ最終見解をまとめる条約機関。国連総会の下部組織である人権理事会とは直接関係しない。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140716/erp14071611570002-n1.htm

 

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Kazu 08/08/2014 12:40

こちらは韓国のコミュニティーサイトです。

1930年代の朝鮮併合当時の新聞はハングルで書かれています。

新聞によると、女性を誘拐したりだましたりして売春宿に売った朝鮮人を、日本の警察が検挙しています。

コメント欄には、この新聞をみても信じることができない韓国の人たちの書き込みがありました。
幼児期からの反日教育の影響は大きいとあらためて思います。

http://gall.dcinside.com/board/view/?id=history&no=1283822

千手観音 18/07/2014 10:43

★慰安所を経営して朝鮮人の日記が去年発見されました。以下は毎日新聞のネットニュースで報道された日記の一部抜粋です。(毎日新聞の方はもうリンク切れでニュース自体は削除されています。紙版はどこかに残っていると思いますが・・・)

これを読むと、「奴隷」にはほど遠い感じがします。


慰安所従業員:日記発見 慰安婦の日常、淡々と 募集の時期は欠落

毎日新聞 2013年08月07日 東京朝刊

ノートにびっしりと書かれた日記。1943年1月の記載


 【ソウル澤田克己】ビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、日記を残した朝鮮人男性は、1942年夏から44年末までの東南アジア滞在中に慰安所3カ所の帳場で働いた。日記には、慰安婦の管理や、軍や役所との折衝といった日常生活が淡々とつづられている。

 慰安所が旧日本軍の管理下にあったことは、軍の文書でも確認されている。日記にも「慰安婦を連れて連隊本部とその他3、4カ所に新年のあいさつに行ってきた」(43年1月1日)や、連隊本部などから定期的に避妊具を受け取ったりしたという記述が、頻繁に見られる。

 軍から移転命令があり「慰安婦一同は絶対反対」(同3月10日)したが、結局は「司令部命令に勝てず移すことになった」(同14日)などの記述から、軍との密接な関係をうかがわせる。

 日記の著者は、ビルマ西部の要衝アキャブ(現シットウェ)からラングーン(現ヤンゴン)へ移った。その際、軍から宿舎の提供を受け「火村小隊の車に火村小隊長少尉らと7人で乗って」(同年1月21日)もいる。

 日記を発見した安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授は「軍属に準じる扱いを受けていたようだ」と話す。

 日記からは、前線であるビルマと後方地域のシンガポールとの違いもうかがえる。シンガポールでの日記には、慰安婦の「廃業」や「帰国」に関する記述が多く出てくるが、ビルマではそうした記述は見られない。

 著者はシンガポール在住時の44年10月25日、元慰安婦が結婚したので「知己の人を呼んで祝賀の酒を飲むと誘われた」という。

 ビルマでは既に日本軍が敗走を重ねていた時期で、連合軍の尋問調書などによると、多くの慰安婦が巻き添えで犠牲になっていた。

 一方、日本軍は、定期的に慰安婦を検診し、性病にかかった場合は入院させた。日記にも「検査不合格者が6人も入院した」(44年5月12日)などという記述が多く見られる。「妊娠7カ月なので、休業届を提出した」(同7月4日)というケースや、慰安婦の出産(同9月5日)もあった。

 日記には、朝鮮における慰安婦募集に関する記述はない。日韓両国では朝鮮半島で慰安婦を集めるときに強制連行があったかどうかに強い関心が持たれているだけに、安名誉教授は「この時期の日記が欠落しているのは残念だ」と話す。

ただ、米外交問題評議会のジェイムス・リンゼイ上級副会長は毎日新聞に対し、米国で慰安婦問題への批判が強い理由について「女性への性暴力が大きな政治的関心を呼ぶようになった世界的な流れが背景にある」と指摘。強制連行の有無は大きな論点ではなく、慰安婦という制度そのものへの向き合い方が問題視されているとの認識を示した。

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 ◆慰安所従業員の日記 抜粋

 ◇1943年

 1月 1日 ビルマ国アキャブ市(現シットウェ)の慰安所、勘八倶楽部(くらぶ)で起きて、宮城(皇居)に向かって遥拝(ようはい)した。家内の弟と○桓君は、<慰安婦を連れて連隊本部とその他3、4カ所に新年のあいさつに行ってきた。>

 1月 2日 昨日は元日で休業し、今日から慰安業を始める。

 1月 9日 今日の検査の結果、病気だった○千代と○子の2人が不合格で、その他16人はみんな合格だった。

 1月12日 連隊本部へ行き、慰安婦の収入報告書を提出した。

 1月13日 連隊本部医務室から衛生サック(コンドーム)1000個を持ってきた。

 1月16日 午後6時ごろ連隊本部事務室で、数日前に頼んだラングーン(現ヤンゴン)への出張証明書をもらった。

 1月18日 同行の友となった中村上等兵と兵站(へいたん)へ行って朝飯を食べ、某少尉の案内で彼の部隊へ行って寝食をすることにする。某少尉も同行してラングーンまで行くという。

 1月21日 ビルマ国タンガップの<火村小隊の車に火村小隊長少尉らと7人で乗って、午前11時にタンガップを出発した。>

 1月25日 横浜正金銀行ラングーン支店で3万2000円を貯金した。

 1月29日 朝鮮から一緒に来た野沢氏に会った。マンダレーの方で慰安所をしていたが、今は、部隊の移動に従ってプロメーに移り、営業しているという。

 3月10日 <55師団から、マンダレーに近いイェウーに移転しろという命令が(ビルマ国ペグー市の)金川氏の慰安所にあった。慰安婦一同は絶対反対ということだった。>

 3月14日 <金川氏は司令部命令に勝てず、慰安所をイェウーへ移すことになった。>

 3月16日 金川氏は、師団連絡所からイェウー方面への移動を当分の間、中止すると言われた。

 4月 5日 桜倶楽部の慰安婦、○子は腹部がとても痛み、午後、開腹手術をするのだという。○子は昨年、マンダレーにいた時も盲腸炎で手術をした。

6月 2日 (ラングーン市外)インセインの宿舎で起き、村山氏宅で朝飯を食べた。正金銀行に行って、村山氏の慰安所の慰安婦2人の貯金をした。

 6月20日 光山氏は、今回の慰安婦再編で、夫人を連れて帰国するそうだ。

 6月25日 大石氏も今般、慰安婦募集のため帰国するという。

 7月10日 <昨年の今日、釜山埠頭(ふとう)で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した日だ。もう1年になった。>

 7月16日 村山氏の慰安所の慰安婦だった○子は妊娠7カ月で、胎動異常があり、今日、鈴木病院に入院したが流産だった。

 7月17日 昨日、鈴木病院に入院した○子は流産後の経過が良好で、今日、車で帰ってきた。

 7月19日 <インセインにいる高部隊すなわち航空隊所属の慰安所2カ所が、兵站管理に委譲された。>

 7月20日 村山氏経営の慰安所、一富士楼が兵站管理となり、村山氏と新井氏は兵站司令部に行ってきた。

 7月26日 インセインの慰安所2カ所が兵站管理になった後、慰安婦の検査も兵站の軍医がすることになった。

 7月29日 <村山氏の慰安所の慰安婦だったが、夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという。>

 7月30日 村山氏は8月中に帰郷する考えなのだが、もち屋と慰安所を私に引き受けろという。承諾した。

 8月 8日 金川氏も慰安所を他人に譲渡して帰国するという。

 8月10日 ラングーンの翠香園で慰安所組合会議に出席した。組合費として経営者は30円、慰安婦は1人2円で計62円を払った。

 8月11日 近日は慰安所に来る客が少なく収入もとても減少した。

 8月12日 兵站司令部に行って営業日報を提出し、サック400個を受け取った。

 8月13日 <鉄道部隊で映画があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた。>

 8月19日 兵站司令部で、サックを600個受け取った。

 8月24日 村山氏が、一富士楼慰安所を9月まで自分が経営して10月初めに引き渡すというので、それではだめだと言った。

 8月26日 兵站司令部で5日間の日報を提出し、サック800個を受け取った。

 9月9日 ペグーの金川氏も今日、慰安所を他人に譲渡する契約を締結した。

(この後、筆者はシンガポールへ移動する)


12月 3日 ラングーンで慰安所を経営していた金田氏は去る7月初めに慰安婦を募集するため朝鮮に行った。そして今回、慰安婦25人を連れてビルマへ行く途中でシンガポールに到着した。

 ◇1944年

 2月 1日 今日出発する帰国慰安婦5人を送り出した。

 3月 3日 慰安婦、○子とお○が廃業した。3月31日 慰安婦、真○を連れて特別市保安課旅行証明係に行き、内地帰還旅行証明願を提出させた。

 4月 5日 帰郷する慰安婦、お○と○子は明日の乗船券を買った。共栄倶楽部の慰安婦、尹○重(○子)も明日出発だ。

 4月 6日 <生鮮組合に行ったところ一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、第4次慰安団の団長として来た津村氏が働いていた。お○と○子、共栄倶楽部の○子を見送ってきた。>

 4月12日 特別市支部へ行って、金川○玉と島田○玉の2人についての内地帰還旅行証明書を受け取った。

 4月13日 特別市警務課に行き、真○の内地帰還についての移動届を提出した。南方運航会社に行って、真○、島田○玉の2人の乗船を申し込んだ。

 4月14日 西原君と横浜正金銀行の支店に行き、今般帰郷した李○玉と郭○順への送金をした。

 4月15日 慰安婦募集のため朝鮮に帰った大洋倶楽部の主人は来る7月に京城(現ソウル)から出発する予定だと西原君に電報が来た。

 4月18日 スマトラ・パレンバンからシンガポールに来て、菊水倶楽部が慰安婦として抱え入れることになった金○順の就業許可のため特別市警務部保安課に行ってきた。

 4月30日 今日も軍人の外出が多く、昨日の最高収入をはるかに超過し、2590円余りの最高記録だった。

 5月 9日 金○順と崔○玉の稼業婦としての就業が許可された。

 5月12日 <今日、検査不合格者が6人も入院した。>

 5月26日 昨年9月ごろ、菊水倶楽部からティモール島方面へ行った李○梅という女が今日、シンガポールに帰ってきたと訪ねてきた。

 5月31日 正金銀行に行き、金川○玉の送金許可申請を提出した。

 6月 1日 中央電信局に行って、金本○愛と李○梅の2人に頼まれた電報を出した。

 6月 2日 今日の検査で2人が不合格となって入院したので、今までの入院者まで入れて計5人が入院中だ。

 6月 5日 金川○玉と島田○玉の2人は、今朝8時に出発した。

6月 9日 今日の検査結果は、入院中の2人が退院し、2人はそのまま入院。店にいた女たちは全員合格した。今月から女子はたばこ配給がないのだが、稼業婦に対しては接待用として特別に毎日10本の配給がある。

 6月13日 4月に帰還した郭○順にすぐ送金したのだが、まだ受け取れていないと2回も電報が来た。

 6月17日 新しく入った宋○玉のことで特別市保安課営業係、坂口氏のところに行ってきた。稼業婦特配米を受け取った。

 6月23日 帰郷した金川○玉から到着したから送金しろという電報が来た。

 7月 4日 <慰安稼業婦、許○祥(○江)は妊娠7カ月なので、休業届を提出した。>

 7月27日 正金銀行に行って、慰安婦の貯金をした。

 8月31日 今年4月初めに帰郷した共栄倶楽部の稼業婦、尹○重から無事帰還したというはがきが届いた。

 9月 5日 <倶楽部の稼業婦、許○祥(○江)は妊娠中だったのだが、中央病院に今夜入院し、23時半ごろ男児を無事に出産した。>

 9月 6日 保安課営業係に金○愛の廃業同意書を提出し、証明を受け取った。

 9月28日 正金銀行に行って、稼業婦の貯金をし、南方運航会社に行って金○先と金○愛の2人の内地便船の申し込みをした。

10月14日 病弱のため帰郷を決心した。

10月25日 スマトラのパレンバンからシンガポールに来た宮本と<第一白牡丹で前は慰安婦をしていた今の仲居が今般結婚した。今夜、両国食堂で知己の人を呼んで祝賀の酒を飲むと誘われたので行った。>

10月26日 今般帰郷する金○愛の送金許可申請書を提出した。

10月27日 <慰安婦、金○先に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、中央郵便局から送った。>

11月 9日 横浜正金銀行シンガポール支店に行って、慰安婦の貯金をした。

11月15日 稼業婦、金○愛は今日、内地に帰還する船に乗った。

11月16日 特別市保安課営業係に行き、帰国した金○愛の酌婦認可書を納付した。

11月22日 仲居、李○鳳と稼業婦、金○守の2人の旅行証明をもらってきた。南方運航会社で2人の乗船申し込みをした。

11月24日 正金銀行に金○守の送金許可を申請し、中央郵便局で李○鳳の送金をした。

12月 4日 正金銀行に行き、送金許可された金○守の1万1000円を送金してあげた。

12月16日 横浜正金銀行に行き、許可された3万9000円を送金し、検疫所に行って検疫証明書をもらった。13時ごろ稼業婦のみんなと別れのあいさつをして停泊場に行き、手荷物検査を終えて17時ごろ乗船した。

 (注)日記は、慰安婦のことを「稼業婦」「酌婦」などとも記している。慰安婦らの名前の一部を伏せ字とした。「横浜正金銀行」は、1880年開業の外国為替取扱銀行。日記では単に「正金銀行」とも書かれている。東京銀行の前身で、現在は三菱東京UFJ銀行となっている。<>は記事と関連する部分。

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 ■ことば

 ◇軍票と戦時中の郵便貯金

 軍票は「軍用手票」の略語で、軍の物資調達などのために一時的に使われる通貨。日本も第二次大戦中に約45億円分を発行したが、終戦後に無価値となった。戦時中はビルマ(現ミャンマー)などの戦地に野戦郵便局、朝鮮半島などの植民地や占領地に外地郵便局が設けられ、軍人や現地住民らが貯金に利用した。

ねこ 19/07/2014 13:04

こちらのブログ主さんが毎日新聞の魚拓リンクを書き残してくださってました。
ありがたや
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1425.html

※<保存用>毎日新聞の記事の魚拓
・慰安所従業員:日記発見 慰安婦の日常、淡々と 募集の時期は欠落 
http://megalodon.jp/2013-0807-1603-37/mainichi.jp/select/news/20130807ddm007040157000c.html
http://megalodon.jp/2013-0807-1604-01/mainichi.jp/select/news/20130807ddm007040157000c2.html
http://megalodon.jp/2013-0807-1604-17/mainichi.jp/select/news/20130807ddm007040157000c3.html
http://megalodon.jp/2013-0807-1604-35/mainichi.jp/select/news/20130807ddm007040157000c4.html
http://megalodon.jp/2013-0807-1604-57/mainichi.jp/select/news/20130807ddm007040157000c5.html
http://megalodon.jp/2013-0807-1605-12/mainichi.jp/select/news/20130807ddm007040157000c6.html

なお 17/07/2014 09:59

DAISUKIさん いつもありがとうございます。

朝鮮戦争時の慰安婦のことがWSJ Blogsの「コリア・リアルタイム」というコーナーで取り上げられたそうです。
http://blogs.wsj.com/korearealtime/2014/07/15/claims-south-korea-provided-sex-slaves-for-u-s-troops-go-to-court/

朝鮮戦争時の慰安婦の方から出て来た証言で
http://ameblo.jp/sincerelee/entry-11895078070.html
↑ブログより引用
・ペニシリン

性病かかった米軍が店にやってきて、疑われる女性を指定することを「contact」と呼んだ。コンタクトされたらそれで終わりだった。「白い家」と呼ばれる施設に連れて行かれた。

"その米軍がどこで性病にかかったかは重要ではなかったと思います。私たちは、コンタクトされて連れて行かれることを「討伐」されると言いました"

"私たちは、ペニシリンを注射されました。ショック死した人もいます。あれをやられると、歩けないのはもちろん、お尻の筋肉が固まり、足が切れてしまったような感じになります。それを二日に一回やられました。屋上から投身して、死んだり、半病身(障害者)になる人もいました" 引用終了--

これを読んで、以前から朝鮮戦争時の慰安婦ではないか?と言われていた
金福童(キムボットン)さんの貴重な証言にあったペニシリンの謎も解けた気がします。

故郷の『朝鮮の村にジープに乗った日本軍』がやってきて誘拐され、
『日本軍のヘリコプター部隊』の基地に連れていかれ、『クリスマス休暇中の日本兵』にコキ使われるなど
『昭和23年まで』解放されませんでした。
日本兵には毎日のように『ブーツで』けられるなど、イジメられましたが日本兵たちは全員『8発も連射できるライフル』を持っているので、逃げたくても、とても逃げきれないと思いました。
『ペニシリンを数週間ごとに』注射されて痛い注射を繰り返しうたれました。

この方、パリの街頭でも朝鮮戦争時に日本軍の慰安婦にされと発言されたようですが、
フランスではどのように報じられたのでしょうか?
http://doumin.exblog.jp/19697673/

ねこ大好きフリスビー 19/07/2014 17:59

アメリカ軍(or国連軍)慰安婦の件、NYTにも記事が出たようですね。
http://www.nytimes.com/2009/01/08/world/asia/08korea.html?pagewanted=1&_r=4&sq=Comfort&

以前からの、日本軍慰安婦問題で騒いでいる挺対協と同じように、意図は政治的な物なのでしょうが、こちらはずっと主張に信憑性や証拠があるのが、今後の問題の展開を興味深くさせます。

ねこ 18/07/2014 19:17

ペニシリン wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%B3

抗菌剤の分類上ではβ-ラクタム系抗生物質に分類される。
発見後、医療用として実用化されるまでには10年以上の歳月を要したが、1942年にベンジルペニシリン(ペニシリンG、PCG)が単離されて実用化され、第二次世界大戦中に多くの負傷兵や戦傷者を感染症から救った。

副作用
ペニシリンはアレルゲンとしての一面を持ちアレルギー反応を引き起こしやすい。そして数万人に一人程度の確率でアナフィラキシー・ショックを引き起こすことがあり、ペニシリンが引き起こす重篤なアレルギー症状は「ペニシリン・ショック」と呼ばれた。とはいえ、ペニシリンによるアナフィラキシーは頻度としては0.01~0.001%と少ないので、皮内テストなどは行わず、過去の服薬歴など問診が重要である。

ペニシリンは抗生物質で、特に感染症に用いられる薬だそうです。
副作用はあるらしいのですが、数万人に一人という低い確率でアレルギー反応を起こすそうです。

そのブログの記述によると、ペニシリンの投与でショック死が出たり、それ以外の被害も出たとのことですが、その薬は本当にペニシリンだったのでしょうか? まず、その証言から疑わしいと私は思いました。

米国が1940年代にグアテマラで性病実験、米大統領が謝罪
http://www.afpbb.com/articles/-/2763340?pid=6281067

2010年10月1日、1946年から1948年までグアテマラで、アメリカ公衆衛生局と国立衛生研究所、公衆衛生局の医師ジョン・カトラーにより、ペニシリンの効果を確かめるための人体実験(梅毒スピロヘータ接種)が行われていたことが明らかになり、オバマ大統領と厚生長官がグアテマラ大統領に謝罪する事態に発展した。2011年3月9日、感染者関係者はこの謝罪を評価はしたものの、アメリカ政府に、11日までに和解案を提示しなければ賠償請求の集団訴訟を提起する旨通知。

確かにアメリカは梅毒 Syphilis に関する実験はやっていたようですけど、これが朝鮮戦争慰安婦の件に繋がるかどうかはわかりません。

ねこ 17/07/2014 13:50

なおさん こんにちわ

金福童(キムボットン)さんがフランスのパリで自爆した件についてはこちらが詳しいです。
そして、彼女達の証言の怪しさについてもふれられています。

【改訂】3-9 韓国人慰安婦問題 ~信憑性に欠ける元「慰安婦」の証言~ (Japon)
http://youtu.be/VMm8T6Y2_qk?list=PLBUn1WM9bPYWls286kiCSZf31pJEPM6Ne

3-9 Korean comfort woman issue~Testimony of the "former comfort women" is lacking in credibility~ (Anglais)
http://youtu.be/__2ZVFGvEas?list=PLBUn1WM9bPYU-9MaDWaM0dXP6YwViwjo7