お願い求む資料 文玉珠 軍事裁判 正当防衛

Publié le par daisuki

これは史実ですか?それとも小説ですか?史実なら資料が欲しいです。ブログに載せます。

慰安婦が性奴隷ではなかった証拠になります。裁判して正義が通っているからです。

平林久枝編 「強制連行と従軍慰安婦」

P.185
兵隊から「朝鮮ピー」「朝鮮人のくせに」と言われることもあった。ある時、酔っぱらった下士官が来た。文玉珠は、生理の最中だったので断ったところ、その下士官は「嘘をつくな」と怒って、日本刀を振り回してきた。文玉珠は「同じ大日本帝国の女性をどうして殺そうとするのか。そんなに馬鹿にするなら朝鮮を独立させてくれ」と刃向かったら、その下士官は、文玉珠に日本刀で斬りつけてきた。文玉珠は、思わず刀を奪い、気がつくと反対にその下士官を刺していた。その下士官は死に、文玉珠は軍事裁判にかけられた。しかし、正当防衛が認められ、無罪となった。

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MiyamotoM 05/03/2014 12:29

>平林久枝編 「強制連行と従軍慰安婦」
完全に嘘小説です。

ビルマで慰安婦をしていた「文玉珠」(朝鮮人)は、「文原玉珠」名義で郵便局に貯金をしていました。
山口県下関市の下関郵便局に、文玉珠が預けた貯金の原簿があったことが判明しています。

http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/1207453/img_1207453_37211205_8?1375954811

文玉珠さんの郵便貯金の記録です。昭和20年4月と5月のたった2ヶ月で20,560円も貯金をしています。

月収比較
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
・慰安婦 1000円~2000円(アメリカ軍の調書)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
・総理大臣 800円(東条英機)
・陸軍大将 550円
・曹長 32~75円
・軍曹 23~32円
・伍長 20円
・兵長 13,5円
・上等兵 10,5円
・一等兵 9円
・二等兵 9~6円

・元慰安婦(売春婦)、文玉珠の2年3ヶ月の郵便貯金 26,145円(現在の貨幣価値で約1億円)

1億円稼いで貯金している奴隷なんて居ませんよ(笑)
明らかに高給売春婦です。

ねこ 05/03/2014 14:35

文玉珠さんに関する動画です。

3-8 Korean comfort woman issue~Professional Camp Follower during WW2~
http://www.youtube.com/watch?v=0b7ST_DxzIY&list=PLBUn1WM9bPYU-9MaDWaM0dXP6YwViwjo7&feature=share&index=7

Références :
Machiko Morikawa : Moon Ok-ju, j'ai été une comfort woman du soldat japonais en Birmanie Theater
Masao Okazaki : L'histoire de la ville de prostituée Susaki

KUIDAORE 19/02/2014 12:57

文玉珠氏について。
「文玉珠 ビルマ戦線 楯師団の『慰安婦』だった私」と、「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」を比較・検証しているサイトがあります。ご参考までに。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E8%A8%BC%E8%A8%80/%E6%96%87%E7%8E%89%E7%8F%A0%EF%BC%88%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%A5%EF%BC%89

KUIDAORE 19/02/2014 14:46

それと、慰安婦問題について知るのであれば、C.Sarah Soh : The Comfort Womenが良いらしいです。英語の著作ですが。

著者のC.Sarah Sohは、韓国生まれのサンフランシスコ州立大学教授。

私は英語が大の苦手ですし、読んだことはありませんが、某ブログの書き込みを引用すると

「私は売春をしていたのではなくて、日本軍兵士の一員だったのよ。他の兵隊を戦わせるための兵士の一員だった。日本は戦争をしていたのだから、誰かがお世話しなきゃ、しょうがないでしょ。」
・日本軍兵士にプロポーズされた
・兵隊は休日に餅つきをやって、その餅を分けてくれた、揚げ物にしたらすごくおいしかった
・馴染みの兵隊が飴とかようかんとかの慰問品をよく持ってきてくれた
・戦地に去って行く兵士に恋心を持っていた

などの証言が書かれているそうですよ。
とりあえずジャパンタイムスの書評のURLを書いておきますね。

http://www.japantimes.co.jp/culture/2009/05/10/books/continuing-controversy-of-comfort-women/#.UwS1XJVWHcs

ヤンピン 19/02/2014 10:49

daisukiさんのブログにこの文章を転載したのは私です。荒唐無稽な話であり、慰安婦の証言が裁判の訴状であっても無条件に信用してはならないということをお伝えしたく紹介させてもらいました。私は作り話だと思っただけで、裁判を受けたのだから奴隷ではなかったとするdaisukiさんの御指摘には気づきませんでした。平林久枝編 「強制連行と従軍慰安婦」には「本書にはその訴状の全文が収録されています」とあり、この文章は訴状の「原告らの経歴」部分(P.185)に載っております。Jin様は「この裁判の訴状を見たのですが、2次原告の経歴などはありませんでした。」「訴訟の原告に加わる前に取材して書かれた本だと思います。適当な証言をした可能性があります。」と仰いますが、図書館で本を借りてお確かめください。私はこの本を横浜市中央図書館で借りました。

Jin 18/02/2014 20:34

Daisukiさんこんにちわ

意図するところは理解しました。
ご存知と思いますが、この文玉珠は、1992年4月に金学順さん等の訴訟の2次原告に加わり、
裁判の過程で、別Article ”Un carnet de paiement:~” の郵便貯金原簿が発見された、
文原玉珠と同じ人物です。

この裁判の訴状を見たのですが、2次原告の経歴などはありませんでした。
ネットで彼女の裁判証言を探していますが、その様な事件の裁判証言は見つけられませんでした。

「強制連行と従軍慰安婦」この本は手元にお持ちなのでしょうか?発売日は1992年06月のようです。

訴訟の原告に加わる前に取材して書かれた本だと思います。適当な証言をした可能性があります。
--------
ここからは、日本人的な推測です。
韓国を含めた外国の方には理解できないでしょうが、日本刀(軍刀)を簡単に抜いて相手を脅すとか、
斬り付ける等という事は普通は考えられません。想像する以上に、遥かに神聖な物だったはずです。
何十人も斬殺せませんので、虐殺等の証言に日本刀が登場したら、「嘘」と思って間違いないと思います。
--------
”La traduction en français du rapport No.49:~”に、
昨年発見された、慰安所従業員の日記の抜粋が読めるwebpageのURLをのcommentしました。
「性奴隷ではなかった証拠」の1つだと思います。まだでしたら、是非読んでみてください。
”お願い 慰安婦戸籍とビデオ”にも追加でcommentしてありますので、時間のある時にでもどうぞ。

Jin 19/02/2014 13:43

先に結論を書きます。文玉珠を無罪とした戦時の公文書やそれに準ずる資料は
入手できません。そもそも、存在しない可能性がとても高いです。

訴状には原告の主張を好き勝手に書けます。
ヤンピンさんも書いた様に「荒唐無稽な話」であって、信憑性がありません。

「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」の裁判で、被告の国は、
「請求の原因に対する認否」で、

38 文玉珠(ムン・オクチュ 軍隊慰安婦)
●野戦郵便局に貯金をしていたことは認めるが、「その余は不知」
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/genkoku.htm

としています。なので、万が一、文玉珠の話が全て真実であったとしても、
「不知」としたので、その様な資料をわざわざ公開しないと思います。

Daisuki 19/02/2014 11:35

証言読みました。アメリカレポートと同じでした。いい扱いをした基地もあった、という印象でした。裁判して正当防衛のほうが、事実なら、すごく説得力強いです。みなさんお助けお願いします。

Taka 18/02/2014 16:08

文玉珠(문옥주)
韓国の挺身隊問題対策協議会の調査による略歴。

1924年:大邸生まれ。
1933年(9歳):独立運動をしていた父が死亡、家計が大変なので寺子屋や夜間学校で勉強。
1937年(13歳):面倒を見るという日本に住んでいる親戚の家に行くがこき使われたので6ヶ月で帰り、スリッパ工場で時折働く。
1940年(満16歳):友人の家に行った帰りに軍服を着た日本人に腕をつかまれ憲兵隊らしきところへ連れてゆかれる。
翌日民間人の男に引き渡され汽車に2日乗って中国東北部の逃安城でおり、トラックで慰安所に運ばれた。文原ナミコと名前をつける。
主計将校に料理を作るなど気に入られようと努力する。
1941年9月(1年後):主計将校が外で所帯を持とうと言ったのを利用して証明書を貰い朝鮮へ帰る。
1942年7月(18歳):友人の金がもうかる食堂があるという誘いに乗って「ダメにされた体だから」と思い金を稼ごうと釜山へ行く。
朝鮮人経営者に連れられ船でビルマへ。トラックでマンダレーの慰安所へ。
金を稼ぐためにきたから仕方がないが本当にたくさん軍人がきた。物品管理をしている男と親しくなる。文原ヨシコを名乗る。
(7、8箇月後)アキヤブへ移動。船でプロムに移動、経営者がいなくなり軍人が直接管理。
(4、5箇月後)更にラングーンへ、荒れた軍人が多く殺されそうになる。
「一度は酒に酔った軍人が出てきて刀を抜いて殺そうとしました。『あんた達を慰安しようと来た私たちに対してそんな事できるの?』となだめましたが、彼は殺気をみなぎらせて私を殺そうとしました。
そこで私は死ぬか生きるかの瀬戸際で彼に飛びかかりました。その瞬間びっくりした彼が刀を手放すと私はその刀を取り上げてとっさに胸を刺してしまいました。
その軍人は血を流しながら車に載せられてゆき私は憲兵隊に呼び出されて軍事裁判を受けました。1週間後に釈放されましたがまた軍人達の相手をさせられました」
(3、4箇月後)タイへ移動。
1箇月後、アユタヤへ。3、4箇月の間、負傷兵の看護をして終戦を迎える。
終戦後、タイの収容所へ。親しくなった男は日本へ誘ったが、朝鮮へ帰国。
1996年10月:72歳で死去。

※韓国の「挺身隊問題対策協議会」の調査で証言しているみたいです。
なので、逸れなりの韓国サイドの主張として利用は出来ます。
(韓国サイドも認めている。)